新潟地方裁判所 昭和53年(ワ)377号 判決 1983年5月30日
原告
阿部啓輔
右訴訟代理人弁護士
片桐敏栄
同
馬場泰
被告
日本国有鉄道
右代表者総裁
高木文雄
右訴訟代理人弁護士
斎藤彰
右指定代理人
安中幸藏
同
石山亮
同
遠藤宏
同
斉藤敏昭
同
宮口威
主文
一 原告が被告新潟鉄道管理局経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める請求にかかる訴えを却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 原告が被告新潟鉄道管理局経理部会計課に勤務する権利を有することを確認する。
2 被告は原告に対し、金八〇万円及びこれに対する昭和五八年二月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
(本案前の申立)
1 原告が被告新潟鉄道管理局経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める請求にかかる訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(本案に対する答弁)
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は昭和三九年一二月一日、日本国有鉄道(以下「国鉄」という)新潟鉄道管理局に採用され、長岡操車場の構内作業掛に配属された。同四一年九月新潟鉄道学園に入学、同年一一月長岡駅旅客掛に配属、同四三年四月中央鉄道学園大学課程に入学、同四六年三月卒業後村上駅運輸掛、同四七年五月新潟車掌区車掌、同四九年六月総務部広報課と各配属になり、同五二年二月経理部会計課に配属となり現在に至っている。
2 被告は昭和五三年六月一三日、原告に対し新潟鉄道管理局長名をもって「昭和五三年六月一九日付を以って入広瀬駅営業係(特命)を命ずる」旨の意思表示(以下「本件転勤命令」という)をなした。
3 しかしながら、本件転勤命令は以下のとおり無効である。
(一)(1) 原告の所属する国鉄労働組合(以下「国労」という)と被告の間の「事前通知及び簡易苦情処理に関する協約」は、第一条で職員の転勤は発令日の七日ないし一〇日前に本人に対し文書をもって通知しなければならないことを、第二条第一項、第八条で通知を受けた本人は簡易苦情処理会議に対し、苦情請求することができ、その申立てがあったときは、直ちに会議を開催し、発令の日までにその苦情を処理しなければならないことを、同条但書で発令の日までに判定できなかった場合、通常の苦情処理手続に移すか否かその取扱いを決定しなければならないことを、また、国労と被告の間の「苦情処理に関する協約」は第一七条第二項で苦情処理委員会は、苦情処理の上移を受けた日から一週間以内に処理するか又は解決を上移しなければならないことをそれぞれ規定している。
(2) しかし、本件転勤命令の通知と発令との間には六日の期間しかない。また、原告は本件転勤命令を受けたその日に苦情請求をしたところ、発令の三日前の昭和五三年六月一六日に第一回の簡易苦情処理会議が開催されたが、苦情処理の趣旨からいって、本人の意向を十分聴聞して審理すべきであるのに、被告側委員は原告の事情申述を制し、聞かれたことだけ答えればよいなどといって、一五分足らずで聴聞を打ち切り、申立てを却下しようとしたものの、組合側委員の反対で判定できず、新潟地方苦情処理共同調整会議に移行する旨の結論となった。ところが、その後右調整会議は開催されることなく、被告は六月一九日に本件転勤命令の効力が生じたとして転勤を強制した。
(3) 転勤は重大な勤務条件の変更で、本人の生活に重大な支障を及ぼし、事前通知と発令との間の期間もわずかであるから、苦情処理は本人の意向を十分汲んだうえ、的確、敏速に処理されなければならない。ところが、本件転勤命令は本人の苦情を十分聴かずに国労と被告との間の前記各協約に違反して発令された違法なもので無効である。
(二)(1) 国労と被告の間の「配置転換に関する協定」には配置転換にあたっては本人の意向を十分尊重して行う旨の定めがあり、転勤は定期であれ、臨時であれこれを準用することを双方了解のうえ実施されている。また、入広瀬駅など只見線への配転については、国労新潟地方本部と国鉄新潟鉄道管理局長の間の「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」で、右「配置転換に関する協定」により取り扱うものとされている。
また、これまでの労使慣行からみても、あらかじめ約一か月前に本人に職種、勤務場所を打診し、事実上本人の承諾を得て配転の事前通知を行っている。
(2) しかるに、本件転勤命令は事前に本人の承諾を得ることは勿論、何らの打診もなく、毎年二月に行われる経理部会計課等の管理部門の定期異動とは異なる時期に突然発令されたものであり、本件転勤命令は前記各協約及び労使慣行のいずれにも反する違法で無効なものである。
(三)(1) 本件転勤命令発令当時、原告は肩書地(略)に父(六〇歳)、母(五九歳)、妻、長男(一歳一一か月)、長女(三か月)と同居していた。両親は既に老令に達しているため、原告が家業の農業を引き継ぎ、休日、公休日を利用して耕作するかたわら国鉄に勤務して薄給を受け、ようやく一家の生活を立てていた。そして、妻は昭和五三年三月に長女を出産して産後の回復も十分ではなく、そのうえ病弱の子をかかえ、その世話で疲労が重なり健康がすぐれない。また、長女は新生児メレナと称する虚弱児でありクル病に罹患し、新潟県立新発田病院に月三ないし四回の割で通院していた。
そのような事情にあるのに、本件転勤命令が発令されると、入広瀬駅への通勤は急行列車を利用しても三時間以上を要するため断念せざるを得ず、また、一家揃っての赴任は、両親の世話をする者がいなくなること、入広瀬には完全な医療機関がなく、とりわけ冬期は数十日も列車が不通となるため、長女の通院は不可能であることなどから困難で、原告の単身赴任を余儀なくされる。しかし、単身赴任となると、農業の継続は不可能となるため総収入が減少し、そのうえ二重生計により生活に対し重大な圧迫となる。更には、農業経営者である父は、後継者との同居を要件とする農業年金の支給も受けられないこととなる。
(2) 赤字線である只見線において経営合理化が進められ、入広瀬駅においては、駅長も含め職員は二名にまで削減されたが、欠員が生じたという事情がないのに原告を同駅へ転勤させるのは国鉄の赤字べらしの合理化政策に明らかに反する異例の処置である。
また、転勤は本人に無駄な費用を負担させることなく、生活に重大な支障をきたさないよう十分配慮してなされるべきであり、実際にも、欠員が生じてその補充を必要とする場合、周辺地域の勤務者の配転によって補い、従前の勤務地と全くとび離れた地区に転勤を命じることは、本人が望まない限り行われないのが普通である。只見線は県下でも稀な僻地であり、「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」が存するように誰でも勤務をいやがる地区であるので、これまではこの地区の出身者又は近郷出身者に期間を一年程度に限定し、本人の了解をとりつけて発令されており、下越地区から入広瀬への転勤は異例である。
(3) 以上のとおり、原告には特別の家庭の事情があり、本件転勤命令によって蒙る生活上、経済上の影響は極めて大きく、これが強行されると平穏な家庭生活を破綻させることになる。本件転勤命令は、被告においてこのような事情を知りながら、特段の必要性、緊急性もないのに発令されたもので、合理性を欠き、人事権を濫用した違法なもので無効である。
(四) 国鉄当局はストライキ等を行う国労運動、特にこれを支える若手の積極的活動家を嫌悪してきた。原告は昭和四六年一月に国労に加入以来、国労新潟鉄道管理局分会執行委員長等を歴任する熱心な組合活動家であり、また、労働運動は組合内部にとどまらず、広く部落解放運動、市民運動と連携して行うべきだという思想の下に小西反軍裁判等も支援し積極的に活動している。このような活動を当局は以前から嫌悪し、原告の現業部門活動家への影響をおそれ、昭和四九年には原告を国労組合員の少ない管理部門の総務課へ配転した。また、原告は組合役員としてストライキ参加、指導の責任を問われ、昭和四八年以降毎年戒告等の処分を受けてきた。そこで被告は、原告が組合活動を行うため現業部門への配転を希望したのを逆手にとり、入広瀬駅営業係が現業部門であると称し、全く過疎地であり市民運動はおろか、組合活動も全く効果のない地域に追いやることにより、原告の活動を封じ込めるため本件転勤命令を発令したものである。これは、原告の思想、組合活動を嫌悪する意思に基づくもので、生活上、組合活動上重大な支障を及ぼす不利益取扱いであって不当労働行為であり、本件転勤命令は労働基準法第三条、労働組合法第七条第一号に違反して違法であり無効である。
4 以上のとおり本件転勤命令は違法、無効なものであり、原告が従前の勤務に服し就労する権利を有するのに被告はこれを争う。
5(一) 原告は前記のとおりの違法無効な転勤命令を受けたためやむなく法的手段をとることを余儀なくされ、昭和五三年六月一九日新潟地方裁判所に対し転勤命令効力停止仮処分命令申請をし(昭和五三年(ヨ)第一一七号)、同年七月一二日本件転勤命令の効力を停止する旨の決定を得たが、同月二一日被告はこれに対し異議申立をなし、以来同裁判所に仮処分異議事件(昭和五三年(モ)第四五七号)として係属中である。
(二) 原告は被告が本件転勤命令の効力を争う姿勢を示したため、昭和五三年九月一九日本訴の提起を余儀なくされた。
(三)(1) 原告は昭和五三年六月、前記仮処分申請及び同異議事件並びに本訴の提起、追行を弁護士である原告代理人らに委任し、報酬として金五〇万円を同人らに支払った。
(2) 原告は被告の本件転勤命令により、これに応ずべきか否か悩まされ、また、前記仮処分後被告の異議申立により本訴等の提起、追行を余儀なくされ、その心労は著しく、これを慰藉するには金三〇万円が相当である。
6 よって、原告は被告に対し、原告が従前の勤務場所である前記会計課に勤務する権利を有することの確認を求めるとともに、仮にこの請求にかかる訴えが却下される場合には、予備的に、不法行為損害賠償請求権に基づき、前記損害賠償金八〇万円及びこれに対する訴え追加申立書送達の日の翌日である昭和五八年二月一一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告の本案前の主張
新潟鉄道管理局駅業務委託処理基準規程の改正により、昭和五六年四月一日から、入広瀬駅は委託駅となり、駅業務が民間会社に全面委託されたため、同駅の駅長及び営業係(特命)は、同日をもっていずれもその職が廃止された。
よって、原告が経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める請求にかかる訴えは、その利益を欠くから、被告は右訴えの却下を求める。
三 請求原因に対する答弁
1 請求原因1は、新潟鉄道学園入学、新潟車掌区車掌及び総務部広報課の各配属(発令)の年月を除いて認める。新潟鉄道学園入学は昭和四一年一〇月、新潟車掌区車掌の発令は同四七年七月、総務部広報課の発令は同四九年五月である。
2 同2は認める。
3(一) 同3(一)の(1)は認め、(2)は本件転勤命令の通知と発令との間には発令の日を含めないと六日の期間しかないこと、昭和五三年六月一六日に第一回の簡易苦情処理会議が開催されたが、判定するに至らず、新潟地方苦情処理共同調整会議に移行する旨の結論となったことは認め、その余は否認し、(3)は争う。
(二) 同3(二)の(1)は、「配置転換に関する協定」及び「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」の存在は認め、その余は否認し、(2)は管理部門の異動が毎年二月に行われていること及び本件転勤命令が事前に原告の承諾を得ることも打診もなく発令されたことは認め、その余は否認する。
(三) 同3(三)の(1)は、原告の家族が両親、妻及び子ども二人であること、実家が農家であることは認め、その余は争い、(2)は赤字線である只見線で経営合理化が進められたこと及び入広瀬駅の職員が駅長を含め二名となっていたことは認め、その余は否認し、(3)は争う。
(四) 同3(四)は、原告が戒告処分を受けたこと、原告が現業部門への転勤を希望していたことは認め、原告の組合活動及び思想信条等は不知であり、その余は否認する。
4 同4は、本件転勤命令が違法で無効なものであることを理由に、原告が従前の勤務に服し、就労する権利を有することを被告が争うことは認め、その余は争う。
5(一) 同5の(一)は、転勤命令が違法無効であることは争い、その余は認める。
(二) 同5の(二)は認める。
(三) 同5の(三)の(1)は、原告が仮処分申請及び同異議事件並びに本訴の提起、追行を弁護士である原告代理人らに委任したことは認め、その余は不知であり、(2)は否認する。
四 被告の主張
1(一) 転勤命令を発令する場合は「事前通知及び簡易苦情処理に関する協約」に基づき、発令の日の七日ないし一〇日前(ただし緊急の場合は五日前)に文書をもって通知することになっているが、この「七日前」というのは、長年の労使慣行により、発令の日を含む日数として取り扱われてきた。したがって、本件転勤命令の通知と発令との間の期間について簡易苦情処理会議においても、労使双方の委員はもちろん原告からも何らの異議又は問題としての指摘すらなかった。
(二) そして、右協約第三条は右期間が経過した場合は、転勤命令の効力が生じ職員はこれに従わなければならないと規定しているのであるから、簡易苦情処理会議及び苦情処理共同調整会議で苦情が処理されていないからといって、本件転勤命令の効力に何らの影響を及ぼすものではない。
2(一) 国鉄において人事異動というものには次の三種類がある。
(1) 定期異動
いわゆる定年退職(職員が五五歳に達する年度末における退職)に伴って、毎年定期(二月又は三月)に行われるもの。
(2) 一般異動
年度途中で職員が退職した場合、死亡した場合、本社又は他の管理局へ転出した場合等の理由により欠員等が生じた場合において、必要に基づき行われるもの。
(3) 配置転換
各職場においていわゆる合理化をした結果過剰人員が生じた場合にこれに伴って行うもの。
(二) 原告に対する本件転勤命令は、新潟鉄道管理局運転部列車課基本計画係長が年度途中である昭和五三年五月三一日付をもって退職したため同課に欠員が生じ、これの補充に伴って行った一連の人事異動の一環として発令されたもので、前記一般異動にあたり、この種の異動は新潟鉄道管理局内だけで毎年二〇〇ないし三〇〇名程度が対象となり、異例の転勤ということはない。
(三) そして「配置転換に関する協定」は、一般異動を対象とするものではなく、また、「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」は只見線の全線開通に伴うものであり、その第三項の「配置転換」は全線開通により動力車の運用を本区からとするため、上越線小出駅構内にあった長岡機関区小出駐泊所を廃止したため、勤務が不要となった六名にかかる配置転換について取り決めたもので、原告の異動とは無関係である。
(四) また、国鉄の三種類の人事異動において、いわゆる定期異動及び一般異動の場合はいずれも原則として事前に本人の希望を打診するなどということはない。ただ例外として、本社勤務とか他管理局へ転勤する場合においては、あらかじめ本人の意思を打診することもあるが、発令するか否かは、事前通知を出すまでこれを本人に知らせることはない。
3(一) 高度な公共性を有する国鉄業務に従事する国鉄職員は、業務上の理由に基づいて発せられた命令に対しては、これを拒否する以外他に方法がないというような特段の場合を除いては、これに従う義務がある。
原告の主張する家庭の事情のうち、子どもの通院については、入広瀬から普通列車で約四〇分の小出町には県立小出病院(総合病院)があり、一〇日に一度位の通院であれば十分に可能である。また、家業の農業の点については、国鉄職員はその職務の重要性、高度の公共性の見地から当然職務に専念すべき義務があり、そのため他業との兼業は原則として許されない。したがって、原告が主張する家庭の事情はいずれも理由がない。
(二) 原告に対する本件転勤命令は、新潟鉄道管理局運転部列車課基本計画係長の退職に伴い、その後任に列車課臨時計画係長であった酒井栄吉をあて、その後任に同課列車指令長であった木村豊をあて、その後任に同課列車指令係であった笛木好雄をあて、その後任に入広瀬駅営業係(特命)であった吉原悦郎をあてた結果、同係に欠員が生じたので発令されたものであり、異例の処置ではない。
また、原告は、下越地区からの異動が異例と主張するが、原告の前任者である吉原悦郎は直江津駅から、その前任者の真保常夫は長岡駅から、その前任者の星野昭文は見附駅から、その前任者の岡元浩は東三条駅から、その前任者の長谷川悌治は新潟駅からそれぞれ入広瀬駅に転任したもので、その主張は理由がない。
4 原告を吉原悦郎の後任者に選任したのは次の理由による。
(一) 経理部会計課においては、休職中であった渋谷武雄が昭和五三年三月に復職したため一名の過員となり、他に欠員が生じた場合はそれの補充として同課の一名が異動すべき事情にあり、他の部課に当時過員であったところはない。
(二) 経理部会計課に勤務して三か月後の昭和五二年五月ころ、原告は同課課長に対し、自分は管理部門にはむいていないので営業系統に転出したい旨を強く訴え、同年の「人事調書」において非現業の特性が自分にあわないので現業部門の運輸部門へ転勤したい旨を申告し、また、同年一〇月及び昭和五三年三月に同課長に対し同旨の申入れをした。
(三) 入広瀬駅は駅長のほかは一名の職員だけであり、駅長が休む場合は職員が駅長の職務を代行しなければならないところから、同駅営業係(特命)として配属される職員には、従来から幹部職試験に合格した優秀な者をあてることとして人事運用されてきたものであって、原告は昭和四六年に中央鉄道学園大学課程を卒業し、また、同四七年の幹部職登用資格認定試験に合格しており、この点でも適任者と判断した。
(四) 以上のとおり会計課での過員の発生、本人の希望、幹部職試験の合格等をあわせ総合的に考慮して、本件転勤命令を発令したものである。
五 被告の主張に対する答弁
1(一) 被告の主張1(一)は、転勤命令の発令をする場合は「事前通知及び簡易苦情処理に関する協約」に基づき、発令の日の七日ないし一〇日前に文書をもって通知することになっていることは認め、その余は不知。
なお、簡易苦情処理会議で原告は質問に対する答弁が許されたのみで、その余の発言の機会はなかった。
(二) 同1(二)は争う。
2(一) 同2(一)は認める。
(二) 同2(二)は、原告の転勤が異例でないとする点は争い、その余は認める。
(三) 同2(三)は争う。
(四) 同2(四)は争う。
3(一) 同3(一)は、入広瀬から普通列車で約四〇分の小出町には県立小出病院があることは認め、その余は争う。
(二) 同3(二)は不知。
なお、従前入広瀬駅営業係(特命)は、一年間在職した後に転出していたにもかかわらず、吉原悦郎は昭和五三年二月に同係に発令されたばかりであり、着任後三か月という短期間での転出は異常であって、同係から同人を転出させて原告をあてる合理性はない。
4(一) 同4(一)は、渋谷武雄が昭和五三年三月に経理部会計課に復職したことは認め、その余は否認する。
(二) 同4(二)は認める。
(三) 同4(三)は、入広瀬駅が駅長のほかは一名の職員だけであるから、駅長が休む場合は職員が駅長の職務を代行しなければならないこと、原告が昭和四六年に中央鉄道学園大学課程を卒業し、同四七年幹部職登用資格認定試験に合格したことは認め、その余は否認する。
(四) 同4(四)は争う。
なお、原告と同様に営業系統で、幹部職登用資格認定試験に合格し、未だ助役に発令されていない者のうち長岡地区に居住している者は数十名に及んでいる。これらの相当数が昭和五六年六月に入広瀬駅に転出可能で、その適格を有しており、原告以外の者をあてることは可能であった。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の各記載を引用する。
理由
第一本案前の申立について
一 被告は原告が経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める訴えは却下されるべきであると主張するので判断するに、原告が昭和三九年一二月一日国鉄新潟鉄道管理局に採用され、長岡操作場構内掛等を経た後、同五二年二月経理部会計課に配属となったこと、被告が本件転勤命令を発したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、新潟鉄道管理局駅業務委託処理基準規程の改正により、昭和五六年四月一日から入広瀬駅が業務委託駅となり、駅業務が民間会社に全面委託されたため、同駅の駅長及び営業係(特命)は同日をもって、いずれもその職が廃止されたことが認められる。
二 右認定事実によると本件転勤命令は、その目的たる入広瀬駅営業係(特命)が昭和五六年四月一日をもって廃止されたことにより、目的の不能により同日無効に帰したものというべきであり、この結果原告が入広瀬駅で勤務すべき義務は消滅し、その反射的効果として被告が新たな転勤命令を発しない限りは、原告は従前の勤務場所たる経理部会計課に勤務する権利を有するものであり、被告もこれを争わない。
してみると、原告が経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める請求に関する訴えはその利益がないことになるというべきである。
第二損害賠償請求について
一 原告が昭和三九年一二月一日、国鉄新潟鉄道管理局に採用されて長岡操車場構内掛に配属された後、同四一年に新潟鉄道学園入学、同年一一月に長岡駅旅客掛、同四三年四月中央鉄道学園大学課程入学、同四六年三月同課程卒業後村上駅運輸掛、同四七年新潟車掌区車掌、同四九年総務部広報課、同五二年二月経理部会計課にそれぞれ配属され、同五三年六月一三日被告が原告に本件転勤命令をなしたこと、原告が仮処分申請及び同異議事件並びに本訴の提起、追行を弁護士である原告代理人らに委任したことは当事者間に争いがない。
二 そこで、まず、本件転勤命令の違法性につき検討する。
1 原告は本件転勤命令が協約違反である旨主張する(請求原因3(一))ので判断する。
(一) 請求原因3(一)の(1)及び同3(一)の(2)のうち本件転勤命令の通知と発令との間に六日の期間しかないこと、昭和五三年六月一六日に第一回の簡易苦情処理会議が開催されたが判定するに至らず、新潟地方苦情処理共同調整会議に移行する旨の結論となったことはいずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、事前通知及び簡易苦情処理に関する協約第三条は「第一条の定めによる事前通知の期間が経過したときは発令される」、同第五条第一項は「会議は国鉄を代表する二名の委員と組合を代表する二名の委員で構成される」、同第八条第二項は「会議は事実審理にあたって、当事者のほか参考人の出頭を求めることができる」とそれぞれ定めていること、同第一条の七日前という期間については労使において発令日を含む趣旨に解されて、七日前に事前通知書が交付されていること、昭和五三年六月一四日に原告から苦情申告が新潟簡易苦情処理会議に提出されたこと、同月一六日開催された同会議は当局側及び組合側各二名宛の委員が出席したこと、前記協約によると同会議への当事者の出頭は必要的なものではないが、組合側委員の要請により原告が同会議に出頭し、事情聴取の機会を得たこと、同月三〇日に新潟地方苦情処理共同調整会議が開催されたこと、従来同調整会議は上移後一週間以内に開催されることがまれであったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 右認定事実によると本件転勤命令は右協約第一条の規定する七日前に原告に対し事前通知がなされており、また、苦情処理にあたっては必要的でないにもかかわらず、会議に、原告の出頭が許されて事情聴取がなされたうえ、会議には組合側委員も出席しており、原告の利益保護に何ら欠けるところがなかったものというべきであり、更に、苦情処理に関する協約の苦情処理共同調整会議を上移後一週間以内に開催しなければならない旨の規定は訓示規定と解されていると認められる。
したがって、事前通知及び苦情処理については何ら協約に違反するところはなく、他にその手続を違法と認めるべき事由もなく、この点に関する原告の主張は理由がない。
2 原告は、本件転勤命令が本人の事前承諾を得て発令するとの労使慣行等に違反する旨主張する(請求原因3(二))ので判断する。
(一) 請求原因3(二)の(1)のうち「配置転換に関する協定」及び「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」が存在することは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、右「配置転換に関する協定」は、その2項(1)において、配置転換に当たっては、本人の意向を十分尊重し、意思表示を強要しない旨、また「只見線の開業等に伴う労働条件に関する協定」は、その3項において、配置転換については「配置転換に関する協定」により取り扱う旨それぞれ謳っていること、しかし、前者はいわゆる合理化により生じた過剰人員をその対象とするものであり、後者は昭和四六年只見線の全線開通に伴い不要となり廃止された機関区駐泊所勤務の動力車乗務員を対象とするものであり、原告はその対象外であることが認められる。
(二) (証拠略)を総合すると、少なくとも、新潟鉄道管理局管内において、管理職ないし管理部署に属しない労働組合員である一般職員については、ほとんどの場合、人事異動に当たって事前通知前に直接本人又はその所属する労働組合を通じて意向の打診が行われ、これを尊重して異動が発令されていること、しかし、本件入広瀬駅営業係(特命)の原告の前任者吉原悦郎は中央鉄道学園大学課程卒業者で、前々任者真保常夫は幹部職登用資格認定試験合格者でいずれも管理職の候補者として取り扱われる者ではあるが、同人らに対し右係発令に当たり事前打診は行われていなかったこと、また管理職候補者でない一般職員に対して本人の意向に反した異動の発令が出され、苦情処理に持ち込まれることはときにあるが、その場合、事前打診ないし本人の同意の欠如自体をもって、当該発令の効力を問疑されることはないこと、前示本件転勤命令に関する前示苦情処理会議において原告に対する事前打診のなかったことは問題とされなかったことが認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は前掲他の証拠と対比して信用できない。
ところで、規範的効力ないし法的拘束力を有するものとしてのいわゆる労働慣行は、単に事実ないし行為が長期にわたり反覆、継続したというのみで成立が認められるものではなく、右反覆、継続された事実ないし行為が拘束力を有するに至ることが必要と解すべきところ、右認定事実からは、新潟鉄道管理局管内において、事前に打診し本人の同意を得ることが職員ないし労働組合及び当局を拘束し、人事異動の効力を左右するに至っていたとはいい得ないから、事前打診、本人の同意が労働慣行として成立していたことは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(三) そうすると、本件転勤命令が事前の打診なく原告の承諾のないまま発令されたものであることは当事者間に争いがないが、そのことは本件転勤命令の効力に何等の消長をも来すものではないというべきである。
3 原告は本件転勤命令が人事権を濫用したものである旨主張する(請求原因3(三))ので判断する。
(一) 使用者が労働者に対し配転命令を発するにあたっては、業務上の必要に基づき業務の円滑、適正な運営の観点から労働者の資質、業務適合性、経歴等の広範囲にわたる諸事情を総合考慮し、具体的にどの労働者をいかなる勤務に就かせるのが相当であるかを判断して労働者の配置を決定しなければならないものであり、その判断はすべて使用者の裁量に委ねられていると解するのが相当である。もっとも、その裁量は労働者の生活に回復しがたい著しい不利益をもたらす等労働関係を律する信義則に照らして合理性を欠くものであってはならず、業務上の必要がないうえ、その判断が右限度をこえる場合には、配転命令は権利を濫用するものとして違法というべきである。
(二) そこで、本件についてみるに、原告の家族は両親、妻及び子ども二人であること、実家が農家であることは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すると、本件転勤命令は新潟鉄道管理局運転部列車課基本計画係長が昭和五三年五月三一日に退職したことにより、その後任に同課臨時計画係長酒井栄吉を、その後任に同課列車指令長木村豊を、その後任に同課列車指令係笛木好雄を、その後任に前示吉原悦郎をそれぞれあてた一連の人事異動の一環として右吉原の後任に原告をあてたこと、原告が勤務していた経理部会計課においては休職中であった渋谷武雄が昭和五三年三月に復職したためその後職員が一名過員となっていたこと、原告は前示のとおり同四六年三月中央鉄道学園大学課程を卒業し、同四七年一〇月幹部職試験に合格したものであること、右大学課程卒業者は大学卒業者と同様の資格が与えられ管理職の候補者と取り扱われること、原告は同五二年人事に関する自己申告書である人事調書に現業部門、特に運輸部門へ移りたい旨記載していること、同年五月ころから原告は上司である武藤三四司会計課長に降職になってもよいから現業部門へ出たいとの希望をのべ、同課長を通じ職員の配置等を分掌する人事課に事実上その意向が伝えられていたこと、前示のとおり入広瀬駅営業係(特命)の原告の前任者吉原悦郎は右大学課程卒業者であること、同じく前々任者の真保常夫は幹部職登用資格認定試験合格者であること、本件転勤命令発令当時、原告の父及び母はいずれも五九歳で健在であったこと、原告の長女は生後三か月でクル病に罹患しており、月に三ないし四回県立新発田病院に通院していたが、クル病は軽度で昭和五三年八月までには通院の必要がなくなったこと、入広瀬から普通列車で約四〇分の距離に総合病院である県立小出病院があること、原告の父は田一町歩、畑五畝を有して農業を営んでおり、原告は休日を利用して農業に従事していたが、その期間は農繁期を中心に年間二〇日程度であること、入広瀬駅営業係(特命)は三日に一回の割合で特別非番日といわれる休日が年間約六〇日与えられるうえ、公休日及び祝祭日は他の職員と同様に与えられること、同係は従前約一年間で他へ転出していること、原告の父は、同人が六〇歳に達したときから、保険料を納めた期間が一定期間以上であること及び六五歳までに経営移譲を行うことを要件として経営移譲年金の受給資格があるが、経営の被移譲者たる後継者との同居は要件ではないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(三) 右認定事実によれば、本件転勤命令には業務上の必要が認められ、人選についても特に不合理な点はないというべきである。
そして、原告が主張する家庭の事情等に関しては右認定のとおり、両親は健在で同居して扶養しなければならない事情にはなく、長女の病気は軽度で、仮りに通院を必要としたとしても比較的近距離に通院可能な総合病院があり、家業の農業については原告が従事するのはわずか二〇日足らずで、入広瀬駅勤務によっても休日等を利用して従前と同様従事できるものであり、また、原告の父の年金については本件転勤命令によりその受給に支障があるものとはいえないのであって、いずれの点についても特に回復しがたい著しい不利益をもたらすものとは認められない。
以上のとおり本件転勤命令は業務上の必要に基づいて発せられたもので、これにより原告にその生活上回復しがたい著しい不利益を与えるものとはいえず、他に本件転勤命令を不合理とすべき事情は認められず、本件転勤命令は被告の裁量の範囲内にあるというべきである。
なお、原告本人の尋問結果によると、入広瀬に比較的近い長岡周辺には原告と同様中央鉄道学園大学課程の卒業者が数人はいることが認められるが、右事実をもって直ちに人選を不当ということはできず、これにより前示判断は左右されない。
したがって、原告の人事権濫用の主張は理由がない。
4 原告は本件転勤命令は原告の思想及び組合活動を嫌悪する意思に基づくものである旨主張する(請求原因3(四))ので判断する。
(証拠略)によれば、原告は昭和四六年一〇月国労に加入し、国労新潟車掌区分会執行委員、新潟鉄道管理局分会執行委員を経て、本件転勤命令発令当時同分会執行委員長の地位にあったこと、組合運動は内部活動に止まることなく、広く外部組織と連携して行われなければならないとの考えの下に、部落解放運動にも一応関与していること、国鉄における争議行為の指導者責任を問われて、戒告処分を受けたこと(戒告処分を受けたことは当事者間に争いがない)があることが認められるが、前記認定のとおり本件転勤命令は、業務上の必要に基づくものであり、本件転勤命令が被告において原告の思想及び組合活動を嫌悪する意思に基づくものであることはこれを認めるに足りる証拠はなく、原告の主張は理由がない。
三 以上のとおり本件転勤命令を違法であるとする原告の主張はすべて理由がなく、本件転勤命令の発令に違法性があるとはいえないので、その余の事実を判断するまでもなく、原告の被告に対する損害賠償請求は理由がないというべきである。
第三結論
よって、原告が経理部会計課に勤務する権利を有することの確認を求める請求に関する訴えはその利益がないから却下し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 豊島利夫 裁判官 竹内純一 裁判官羽田弘は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 豊島利夫)